災害協定
緊急輸送活動の実績
御巣鷹山日航機墜落事故
昭和60年8月12日、日本の航空機史上最大の惨事となった、御巣鷹山への日航機墜落事故が発生。遺族の深い悲しみにつつまれて、遺体収容作業は酷暑の悪条件の中営々と続けられました。
日航関係者はもちろん、警察関係・自衛隊の支援の中、当協会は遺体搬送の依頼を受け協会内と現地に対策本部を設置。(社)全霊協傘下の霊柩運送事業者に出動を要請し、総動員体制で輸送活動を行いました。関東を中心に、中部・近畿・東北・新潟・長野の会員事業者101社、146両、延べ956両が出動し、その総走行キロは147.183Kmにも達しました。
こうした献身的ともいえる当協会の活動に対し、事故対策本部長山下運輸大臣から感謝状が贈呈されました。
潜水艦なだしお衝突海難事故
昭和63年7月23日午後、東京湾入口・浦賀水道において、海上自衛隊の潜水艦なだしおと、釣り船第三富士丸が衝突し、第三富士丸が沈没、同船の乗客多数が死亡及び行方不明となりました。(死亡者数30名)
海上自衛隊より(社)全霊協神奈川支部に、霊柩自動車の配車要請があったのを受けて、車両の手配を行うとともに、海上自衛隊横須賀駐屯地に出向、綿密な打ち合わせを行い遺体の搬送を行いました。(出動会員事業者13社)
信楽高原鉄道衝突事故
平成3年5月14日、午前10時35分に、信楽高原鉄道列車衝突事故が発生。死亡者42名という大惨事となりました。直ちに現地に輸送対策室を設置、(社)全霊協本部と連絡を取り、滋賀県支部会員事業者を中心に、近畿・中部の会員事業者に出動を要請、22事業者39両が集結。現地各公民館の仮安置所から信楽町民センターの安置所までのピストン輸送を開始。引取人の確認の取れた遺体から、順次全国各地へ輸送作業を行いました。
北海道南西沖地震
平成5年7月12日、午前10時17分に発生した北海道南西沖地震は、大きな被害を受けた桧山地方、特に奥尻島では、地震・津波及び火災というトリプル災害に襲われ、多数の家屋と尊い人命が失われました。地震・津波の影響による道路網の寸断、情報不足という悪条件の中、(社)全霊協北海道支部連合会に緊急輸送対策本部、函館及び江差に地方対策室を置き、会員事業者が出動して、北海道庁・桧山支庁災害対策本部・江差町役場などと連絡を取りながら活動しました。
中華航空機墜落事故
平成6年4月26日、午後8時15分、中華航空140便が名古屋国際空港への着陸に失敗、爆発炎上し264名が死亡しました。直ちに緊急輸送体制を取り、航空自衛隊小牧基地内に現地対策本部を設置。(社)全霊協中部支部連合会を中心に、関東・近畿の会員事業者71社154両が出動しました。また、外国人犠牲者が多かったこともあり、搬送先も名古屋市斎場をはじめ、周辺市町村の火葬場及び各地への国内輸送のほか、本国への航空輸送のため一時遺体安置所へと多岐に亘り、重複搬送が行われたこともあって、総出動回数は415回にものぼりました。
阪神・淡路大震災
平成7年1月17日、午前5時46分阪神・淡路大震災発生。午前9時15分、(社)全霊協近畿支部連合会より第一報が入り、直ちに運輸省貨物課に連絡を取り、関係方面への連絡を依頼するとともに、緊急輸送災害対策中央本部を設置。西宮市に緊急輸送災害対策地方本部を設置して、情報収集に当たりましたが、時間の経過とともに被害は拡大の一途をたどり、最終的に犠牲者は6千人を超えました。配車要請も出来る限り多くの車両をと、北は北海道から南は九州まで、全国の会員事業者に待機依頼をし順次出動。近畿運輸局貨物二課長と連絡を取り、各被災地対策本部に霊柩車待機のPRを徹底するよう依頼しました。2月6日に緊急輸送体制を解除するまで、出動は第6次にまでおよび26日間に亘って会員事業者181社、204両が出動し、過去最大の出動数となりました。
(社)全霊協にとっても、今回のような広域災害への対応は初めてであったことに加え、広範囲に亘って輸送路を寸断されるなど悪条件が重なり、活動も非常な困難を強いられました。協会としても、これを契機に「緊急輸送実施要綱」の見直しを行うこととなりました。
東日本大震災(東北・関東北部太平洋沿岸)
平成23年3月11日、東日本大震災が発生(15,852名死亡・平成24年2月21日現在)。 宮城県沖を震源とするマグネチュード9.0国内観測史上最大の巨大地震と、太平洋沿岸各地に押し寄せた大津波による未曽有の災害をもたらした。 岩手県・宮城県・福島県及び東京都の出動要請に応じ、関東(長野県・新潟県を含む)以北の1連合会(現:地区協会)20支部(現:都県協会)・190事業者・940両が出動。 当協会事業者の活動に対し、北海道運輸局長、東北運輸局長、関東運輸局長より感謝状が贈呈されました。
御嶽山噴火災害
平成26年9月27日、長野県の御嶽山が噴火、死者は58名。(平成27年8月6日現在)。 戦後最悪の火山噴火災害となった。長野県及び木曽町からの出動要請に応じ、長野県霊柩自動車協会を中心に愛知県霊柩自動車協会 、東京都霊柩自動車協会の会員26社・述べ57両が出動し、搬送業務を行った。後日、出動した会員事業者に対し、長野県知事より感謝状が贈呈されました。 翌27年7月29日に捜索が再開、8月6日の捜索中止まで1ご遺体が発見され、長野県霊柩自動車協会・1社1両で対応した。